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育児や日常のよろずのコトを徒然なるままに・・・。出産回顧録も気まぐれに更新中です。
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タグ:たまには語ってみる ( 10 ) タグの人気記事
明日、公開。 2006年 05月 19日
明日5月20日、全世界一斉公開らしいですね。
ダヴィンチ・コード
そして、私は実家の父に原作本を借りまして・・・。
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3日で読破してしまいました・・・。

先日、実家に遊びに行ったとき、父は午後だというのにまだ寝ておりました。
どうしたのかと思ったら母いわく、「朝までダヴィンチ・コードを読んでたんだって」。
まったくいい歳をして・・・と呆れたものですが、いやぁ、読んでみて納得です。止められませんでした。

イタリアに行ったとき、ダヴィンチの「最後の晩餐」が修復中で、観ることができなかったのが悔やまれます。まぁ、その修復のおかげで、現在世界を騒がせている謎が浮かび上がったのだから仕方ないのですけどね。

この小説、建物・美術品・土地・宗教的な儀式、などは事実に基づいて書いているということで、読んでいるうちに小説ではなくてドキュメンタリーを読んでいるような気分になり、どこまでが事実でどこからが作り話か、わからなくなってしまうのです。
これから小説を読む、または映画をご覧になる方のためにストーリーには触れませんが、この小説に登場する場所を訪ね歩いて、ダヴィンチが属していたという「シオン修道会」が隠した「聖杯」を、本当に発掘しようとする人が現れちゃうんじゃないかと思いますよ^^;

キリスト教徒ではないので、世界にはこんな謎がまだあるんだ~とわくわくしますが、カトリック信者にとってはショッキングな話でしょうね。

しかし、何事にも2面性があるのに、世の中には「勝者の言い分」だけがまかり通っているものなのだ・・・と考えさせられます。
私は歴史が好きなのですが、まだまだこれから、今まで正しいと思われていた歴史が、何かの発見によって覆されることもありえるのだなぁ~。そういうのあったら面白いのになぁ。
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by akisa1106 | 2006-05-19 23:18 | ワタクシ的なこと
1周年。 2005年 08月 17日
気づいてみれば昨日、8月16日でこのブログも1周年を迎えました。

まぁ、途中何ヶ月かまったく更新しなかったりしたので、あまり内容は充実していませんが。

1年前、友達にすすめられて始めてみました。
その友達。
彼は、小学校からの幼馴染であり、中学の時には幼くて儚い恋の相手であり、お互いに結婚してからは中学のときに話していた夢を実現させて一緒にバンドをやった仲間でした。
私が青春のほとんどを費やしたバンドも、もともとの始めるきっかけは彼でした。
幼い恋だったから、もう笑って話せるようになっていたし、幼馴染の気安さで異性だということを超えた良い関係・・・と、少なくとも私は思っていました。

彼のブログは、おしゃれなセンスと趣味の広さ、軽妙な文章で、すごく楽しめた。
私のブログは、彼とそのネット友達が時々読んでくれるくらいのものだったので、最初はなんとなく、彼が喜びそうかな、と思う内容を書いていたような気がします。
彼のコメントが楽しみでした。

しかし・・・もともと長続きしない性格の私、ブログの内容もイマイチ定まらず、2ヶ月もするとほとんど更新しなくなってしまった。
そして、その間に彼もブログを休んでいたりしたのに、私はそれすら知らずに過ごしていました。
1ヶ月ほどして復活して、2~3の記事がupされたけれど、

去年の年末、永久に更新されないブログになってしまいました・・・。

それからは、なんとなくブログを開くこともつらくて、私もブログをやめしまおうか、とも思いました。

彼はとても周りに気を使う性格で、後になってから、共通の友達と彼について話しているうち、私に対しての言葉の中には、決して彼の本心ではなく、私を気遣って嘘を言っている部分もあったのだということがわかったりしました。ブログの中で明るくしていた彼も、そうでない本音があったのかもしれない。
それと同時に、私が言ったことが、彼を傷つけたり追い詰めたりしていたのかもしれない・・・とも思いました。

そんなショックもあって、ブログを見るのがつらくて。

でも、春になる頃には、少しずつ私の気持ちも落ち着いてきた部分もありました。
私は、私の見ていた彼を知っていればそれでいいじゃないか、って。
彼は、そんな自分になりたいから、こうやってブログをやって、私にもコメントをいろいろ書いてくれていたのだし。それなら、そんな彼を、彼の真実だと思っていいじゃないか。

悔しかったり納得がいかなかったり、悲しかったり寂しかったり。
そんな気持ちを「きみに。」という詩に書いて、私はブログに復活しました。

それからはマイペースでなんとか今まで続けてきて、最近では子育て中のお友達も増え、勉強になることもたくさんあります。
彼を通じて知り合ったお友達とも、その後も時々ネットでおしゃべりをして、今度は実際に会おうね、という話も出ています。
子育てのことでいろんな情報をもらったり、時々自信がなくなったりしても励まされたり、子育てばかりで忘れかけていた自分自身の心の中や好きなことを思い出させてもらったり。

彼がくれたこの出会い、この場を、大切にしていきたい、と今は思っています。

なんとなく、今も、彼だったらどんなコメントをくれるかな・・・?と彼を意識して書いているような気もします。
彼に、「ほら~!最近は結構ちゃんと更新してるんだよ~!」と言って、「なかなかやるねぇ」と言われたいのかもしれない。

ありがとね。アーリー。
今も時々、アーリーのブログ、読み返してるよ。
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by akisa1106 | 2005-08-17 17:54 | ワタクシ的なこと
日航機墜落から20年。 2005年 08月 12日
520人が犠牲になった日航機墜落事故から、今日で20年。

正直、もう20年か・・・と驚いた。

あの夏のことは、よく覚えている。まだ、つい2~3年前のように映像が目に浮かぶ。
私は中学3年生だった。

翌日の朝刊に掲載されていた、炎上する墜落現場の写真を見て、思わず肌が粟立った事。
腰を痛めて歩けなくなり、祖父母の家で療養していた父のところへ向かう途中、電車内で向かい側に座った人の読んでいた新聞の、「日航機墜落。乗客乗務員524名絶望」の今まで見たこともないほど大きな文字の見出し。
4名の生存者が救助されるニュース画像。

あの夏は、自分にもいろいろな事が起きて、そういうことも全てセットになって思い出される。

そして、今日のTBSのドラマで、公開されたのが何年も後だったことを気づかされたが、一連の記憶となっている、ボイスレコーダーに残された操縦席での生々しい最期の声。

改めて、心臓をつかまれるようなショックと悲しみを感じた。

結婚して、子供をもつ身になってこうした事故を思うとき、その時には気づかなかった亡くなった人や遺族の気持ちに思いが及ぶ。
もしも自分がそんな状況に陥ったら、家族を思いやるような遺書を残したり、まわりの席の人を思いやったりできるだろうか。
そして、パイロットや客室乗務員の、希望を捨てず、自分の職務を全うした最期には畏敬の念すら起こる。家族や身近な人たちに、遺書のひとつでも書いたり、何か言い残したりしたいとも思っただろうに。

あの事故のとき、私はまだ飛行機に乗ったことがなかった。
初めて乗ったのはハタチになったときだけれど、今でも乗るときはどうしてもあの事故のことが頭をよぎって、必死に打ち消そうとする。

ダンナはパイロットを目指そうと思っていたほどの飛行機好きで、よく飛行機のことを話してくれる。
何重にも安全対策がなされていて、どっか一つ故障したくらいではフライトに影響が及ばないこと。事故率が一番低いのは実は飛行機であること。
そういうことを聞かされて、それでも事故にあったらそれは「運」としか言いようがない、と、いつも覚悟するのだけれど。

本当につらいのは、突然家族や親しい人を亡くした遺族の方たちだろう。
20年経っても、悲しみはちっとも薄れないはずだ。
今も、乗り物の事故はそこらじゅうで起きているし、悲しいことに飛行機に関しては不祥事続きである。「運が悪かった」ではすまされない。
運良く(?)助かった4人の方たちのショックと苦しみも、想像を絶するものだろう。
30分間も上空で死の恐怖を味わい、すさまじい衝撃と痛みの瞬間の後は、地獄のような現場で一晩過ごし、助け出されたら報道陣に追い回される。事故原因究明のためには思い出したくもないことを思い出して証言しなければならない事も何度もあっただろう。
今は静かに心穏やかに暮らせる日々が戻ってきていることを願いたい。

テクノロジーの進化で、昔では考えられなかったスピードと大量の輸送ができる現代だから、ひとたび事故が起きれば大事故になってしまう。
そうやって貴重な命が亡くなっていくというのに、そのうえ人は、国家のためにと殺し合いをしたり、もっとつまらない理由で殺人を犯したりしている。


もし今、一つだけ望みをかなえてあげます、と言われたら私は迷わず、「死ぬときには静かに、思い残すことなく、いい人生だったと思って死にたい」と答えるだろう。
現代ではこれが、最高のぜいたくな願いなのかもしれない。

改めて、あの事故で亡くなられた520名の方々のご冥福を祈ります。
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by akisa1106 | 2005-08-12 23:42 | たまには考える
真夏の雨。 2005年 07月 25日
台風7号接近中。

今日は朝から変な天気です。
蒸し暑くて陽がさしたり曇ったり。
午後にはにわか雨。ザーッと降ってはすぐにやむ。

台風はいやだけど、こんな、夏の変わりやすい天気が私は大好きだったりする。
一日中、空を眺めていたい、と思う。

濃い青の空、白く輝く入道雲、黒い雨雲。
こんな、コントラストのはっきりした空は、夏の空独特だから。

こんな日に、いつも思い出す曲がある。
すごく聴きたく(歌いたく?)なったけど、CDを持っていないらしい。
あんなに繰り返し聴いたのは、カセットテープだったのかな・・・?

15年位前。
REBECCAの「真夏の雨」。
確かシングルのカップリング曲だったから、そんなに有名ではないけれど、
私はこの曲が、レベッカの中では1~2位に入るほど好き。
ちょっと変わってるって言われたけど。

NOKKOの透明な高音が、単調なメロディーなのに、ピンと張ったようなテンションをもって
灰色の景色の中で雨に打たれて、それでも冷めない熱い思いが伝わってくる。

ものすごくウブな、恋をしただけですべてのものが美しく悲しく見えて、
わけもなく雨に濡れてみたくなった、あの頃の感覚。

忘れてるなぁ、最近。

と、熟睡するムスメを載せたベビーカーを押しながらの家路で、
はなうた歌いながら思った。

今日の空に、歌詞をのせてみました。↓
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by akisa1106 | 2005-07-25 23:01 | たまには考える
大泉洋にハマっている今日この頃。 2005年 06月 17日
「大泉洋」をご存知だろうか。
北海道TVのローカル番組「水曜どうでしょう」の、驚異的な大ヒットで、今や全国区となった俳優である。(お笑いだと思っている人も多い)(笑)。
知らない方はもう、この先を読むのもつまらないと思うので、知っている方が読む事を前提に、彼についての説明は割愛させていただく。
知りたくなった方は、こちらの方のリンク集がすばらしいのでご参考ください。

b0012145_12541623.jpg私が「どうでしょう」を知ったのは、かれこれ2年半ほど前。たしかまだ、ムスメがお腹の中にいた頃。ダンナがどこからか情報を仕入れてきて、ネットでダウンロードした。すっかりハマって、セリフはすべて覚えるほどに繰り返し見た。
おかげで、私たち夫婦の会話は、ほとんど大泉さんと藤村Dの口調で交わされるようになった。

ある時、高校時代からの親友も、夫婦共に「どうでしょう」のファンであることを発見。そのときその親友が「大泉さん、いいよね~」と言ったとき、正直言って私はピンと来なかった。
私もダンナも、「どうでしょう」という番組が好きなのであって(それはもちろん出演者の面白さにあるのだが)、大泉さんのファンという感覚は全くなかったから。「ふ~ん、そういう見方もあるんだぁ」とちょっと、ミーハーな人を見るような、冷めた視線があったかもしれない。

・・・そんな私が、今や「大泉洋の子猫ちゃん」になりつつある。
う~~~ん、なんでだろう。
この「なぜだろう」という気持ち、多くの大泉さんファンに結構共通しているらしい。

特に二枚目でもないし、「どうでしょう」では思い切り醜態をさらすこともあるし、と多くのファンは言う。
そして、「TEAM NACS」で、彼の芝居を見てから、その真剣な表情と、「どうでしょう」の時の3枚目ぶりとのギャップにやられた、という意見がかなり多い。dice_travelerさんの「大泉洋の魅力について考える」に書いてある意見、まったく同じかも。歌声にやられた人もいる。

私の場合、映画「銀のエンゼル」のTV予告を見てからだったと思う。
ほんの一瞬の大泉さんのアップ、セリフも聞き取れないほど一瞬。その何気ない笑顔にどっきゅ~~~ん。ヤラレタ。
なんだろう。やっぱり「ギャップ」なのだ。「どうでしょう」の時とは全く違う、暖かさを持った笑顔。いや、それを演技でやることができる、ということへの感動?「あぁこの人、ただトークが面白いだけじゃなく、ホンモノの役者かも」とも思った。
その気持ちは、とうとう大泉さんが天下のCXドラマ「救命病棟24時」に出演して、確実なものとなった。

やはり、今でもダンナは「どうでしょう」が好きなのであって、「役者・大泉洋」にはそれほど興味がないと言う。しかもダンナはフィクションが嫌いなのだ。ドラマはほとんど見ない。私が救命病棟を見ていると、「つまんねぇドラマだなぁ」とチャンネルを変えてしまう(怒)。

それはさておき。

「救命病棟~」を見ている時の多くの大泉さんファンの気持ちは、「大泉さん、がんばれ~」という感じだったと思う。
彼にはなんというか、親近感がある。たぶん、「どうでしょう」時代からのファンが(北海道の人はもっと)、「洋ちゃん、立派になっちゃって」と、親戚の男の子を応援するような気持ちで見ていると思う。
それで思った。彼にハマるのは、「私はそんなに有名じゃない頃から知ってる」とか、「お笑いっぽいけど、役者として真剣な部分も見てる」などなど、親近感の上にちょっとだけ優越感を持ちたくなるような存在だからなのかも、ということ。

それで、昔ちょっとだけ好きだった男友達を思い出した。

・・・続きを読む・・・
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by akisa1106 | 2005-06-17 12:57 | 大泉洋 & NACS
ありえない。 2005年 05月 27日
ちょっと遅ればせながら、JR脱線事故について・・・。
安全について、企業の経営について、人の運命について、報道のあり方について・・・etc。
人それぞれいろんなことを感じただろうと思う。
ちなみに、ダンナの弟がJR東日本に勤めていて、いずれは運転士になる予定なので、ダンナのお母さん(私には姑だね)は、当初、運転士の適正を疑問視するような報道が前面に出ていたときは、「他人事とは思えない」と、たいそう心を痛めていた。確かに、私も身内にJR関係者がいなかったら、事故に対する見方はもう少し違っていただろうと思う。

ところで。

事故の翌日、バスに乗っていたときのこと。
乗り合わせていた女子高生3人組の一人が何かのキッカケで言い出した。

「ていうか、あの脱線事故、すごくない?」
(すごくない?の部分のイントネーションはもちろん、「す」が低くて「ごく」が高い。「カレシ」の今っぽいイントネーションですな)

そして一人が答える。

「ていうか、ありえなくない?」



「ありえない」というのは近頃、私のようなオバサンでもふざけて使う流行語になったようだ。
「ありえなくない?」と疑問系にする場合、もちろんイントネーションとしては「あ」が低くて後はあがっていく。

確かにあってはいけない事故だ。間違っていないかも、その感想。
でも、なんだろう。公共の場、バスの車内で、乗客全員に聞こえるような大きな、そして妙に明るい声で「ありえなくない?」で片付けてしまう少女たちに、なんとも言えない空虚さを感じた。

続き・・・
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by akisa1106 | 2005-05-27 21:45 | たまには考える
実家より投稿。 2005年 04月 03日
本日、実家に里帰りしております。
めずらしくダンナも一緒です。
私の父がこの3月でめでたく定年退職をいたしました。大卒で入社して以来、今まで勤め上げてきたのです。本日4月3日が父の誕生日と言うこともあり、ささやかなお祝いをしました。(ただの飲み食い会だったけど)
うちの家族は父を筆頭に、なんというか非常にシリアスになれないんですね。なので特に大げさに「おとうさん!おつかれさま~。ありがとう!」などと言うことはしませんでした。
ただ単に「カンパ~イ、おつかれ~」みたいな(^^。
父は団塊の世代っていうんですか?あの時代は転職っていうのは結構特別な事情がある人がするもんだみたいな風潮があって、正直、子供の頃は入社したその会社にずっと勤めているっていうのは普通のことだと思っていました。
しかし今、時代も変わって転職は特別なことではなくなり、「自分に向いてない。仕事がきつい」などの理由でどんどん職を変われるようになりました。それがいいことなのか悪いことなのか私に論ずることはできませんが、今更ながら35年以上一社に身を捧げた父はすごいなぁと思ったりして。私が子供の頃は朝早く出て帰りが遅く、何日も顔を合わさないこともよくあったし、忙しさから身体を壊して何ヶ月も休んでいたこともあったというのに。

燃え尽き症候群にならないかと心配しましたが、とんでもない。もう会社に行かなくていいのがうれしくて仕方ないらしいです。あとは遊んで暮らそうと思っていたらしいのですが、趣味にお金をかけるには年金が少なすぎると愚痴をこぼしています。
むしろ遊びすぎてぼけるのが心配だ(^^;

でもまぁとにかく、こうして娘を嫁に出したというのに、なんだかんだと孫にお金もかけてもらったりして、それもこれまで働き続けてきてくれたおかげさま・・・。
ありがとう。お疲れ様。
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by akisa1106 | 2005-04-03 02:21 | 日記的なもの
真の闇。 2004年 09月 30日
今日はテレビで映画「陰陽師Ⅱ」が放送されていました。
「陰陽師」(夢枕獏著)は私の愛読書の一つ。

b0012145_248939.jpg映画の陰陽師はどうも、スペクタクルな部分がクローズアップされていて、原作とはイメージがかけ離れていてイマイチです。でも!主役の安倍清明の野村萬斎は、夢枕獏も絶賛しているほどハマリ役。何を隠そうこの私は萬斎さん見たさに、映画館に足を運んだほど。
でも、映画では萬斎さん以外はハッキリ言って、まったく私のイメージとはかけ離れていました。

以前、NHKが連続ドラマでやはり「陰陽師」をやったことがありました。
その時は安倍清明は稲垣吾郎。こちらのほうが映画よりもストーリーや演出的にははるかに原作の雰囲気を再現していた。吾郎ちゃんも好演していましたが、やはり萬斎さんの、古典芸能で磨かれた身のこなし、声、重み、色気、妖しさなんかには到底かなわない。

b0012145_2482758.jpg安倍清明のよき相棒である源博雅は、映画では伊藤英明。これがまた、それはそれでいいのだが、原作とはまったく違う。その点、NHKのドラマでの杉本哲太の博雅は、原作の感じを出していました。

あ~、どこかで、安倍清明→野村萬斎、源博雅→杉本哲太という配役で陰陽師を作ってもらえないかしら。

やはり、原作を読むと楽しいのは、読者が自由に想像できる点。さまざまな魑魅魍魎やあやかしの類は、画像にしてしまうと陳腐なCGに終始してしまい、子供だましになってしまう。
しかし、原作を読みながらの想像は、自分の心の中の怖いものがそのまま魑魅魍魎となって空想の中を飛び回り、夢枕獏の軽妙な文章によって、鬼達の心の悲しさまでもが伝わってくる。

結局、魑魅魍魎なんてものは、ハッキリとした形があるものではなく、人の心の中の恐れから生まれたもの。鬼は、人の心の中にある、と安倍清明も言います。
平安の時代は雅(みやび)の時代。
でも夜は暗く、真の闇が広がるばかり。そこに人々は自分の心の中の鬼を見ていた。

今は、夜でも本当に暗くなることなんかなくなった。満月と言えどもネオンにかき消されて、月明かりのありがたさを感じることも無い。
だからと言って、人が生きている限り心に鬼は生きている。それを映し出す「真の闇」がなくなった現代、人はどこに鬼を見るんだろう。
私には、人、そのものが魑魅魍魎よりも恐ろしい「鬼」になりつつあるような気がしてならないのだが・・・。
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by akisa1106 | 2004-09-30 02:57 | ワタクシ的なこと
いい日旅立ち。 2004年 09月 24日

annさんのブログの耐えきれないという記事を読んで、昔、旅先で出会った紳士のことを思い出した。

もう5~6年前のこと。
高校時代からの仲良し4人組のうちの1人が、だんな様の実家である高松で結婚式を挙げた。出席するために3人で前日から高松に宿を取った。

到着した日の夕食は、だんな様のお友達のお母さんが働いているお店、というのを紹介してもらって行った。
そのカウンター席で、横浜から来た若い(その頃は若かった!)3人娘、とまわりのおじ様方に興味シンシンで話し掛けられているうちに、その中の1人、とりわけ「紳士」という風貌のスーツをびしっと着こなした、会社社長のような雰囲気の男性が、「それじゃ、もう1件、行きましょう」と誘ってきた。

その紳士、他のおじ様方がカウンターの常連客の、医者だの旧国鉄のお偉いさんだのというそうそうたる肩書きを得意げに聞かせてくれている中で、わりと寡黙で「いや、僕はもう無職」などとすっとぼけていたような人で、誘われたときはちょっと困惑した。でも店の人たちが「この人はいい人だよ。安心してごちそうになっちゃいなさいな」と言ってくれたのを信じて、かなり警戒心の強い友人も「それじゃ、お言葉に甘えて・・・」と付いて行くことにした。

タクシーが到着したのはなんとスナック。内心ビクビクしたが、ママさんもお店の女の子もとても気さくで、女性客でも普通に楽しめた。驚いたのは、そのママさんが紳士を「頭取さん」と呼んでいたこと。「頭取さん、テレビに出てたじゃない。びっくりしたわよ。タイヘンだったわね。お見えにならないからちょっと心配したわ。」などと話している。
紳士はおだやかに、「うん、まあね」などと流している。

時代はバブル崩壊を引きずっていて、あちこちで銀行の破綻、合併、などが話題になり始めていた時期だから、そういうものの一つだったのかもしれない。しかし、その紳士も、お店の人も、それ以上は語らなかった。
私たちが高松は初めてだと知って、「明日、結婚式でなかったらいろいろ案内してあげるんだけどね」と残念そうに言い、「おいしいさぬきうどんを食べたいのですが」と言えば、地元の人に評判のお店を教えてくれた(翌日、教えられた店に行ったが、すばらしくおいしかった!)。他にもいろいろと高松や四国について教えてくださったが、どちらかと言うと気の利いた話ができない私は、そのへんは友人に任せて、その紳士のリクエストするカラオケを歌うことに専念していた。
山口百恵が好き、とその紳士が言うので、「いい日旅立ち」を選んだ。旅先でいい思い出をくれた紳士に、私なりのお礼。紳士もとても喜んでくれた。

翌日に友人の結婚式を控えている私たちは、あんまり付き合わされてもなぁ・・・・と、警戒してもいたのだが、その紳士、ある程度の時間になると、それじゃ今日はこれで、とタクシーを呼び、なんと私たちだけを乗せて、記憶は定かではないがタクシー代まで負担してくれた(タクシー券かなんか出してくれたんだと思う)。最後まで、名刺一枚出さず、どこの銀行の頭取なのかも自分の名前すらも明かさず、もちろん私たちの連絡先一つ聞こうともせず「楽しかったよ、ありがとう。」と普通にいつもの飲み会が解散するように別れたのである。

きちんとしたお礼も言えず、あとから友人と夢から醒めたように、「すごく紳士的な人だったね~」と感動したのであるが、後のまつりである。
私たちにできたのは、最初に行った料理屋を紹介してくれただんな様のお友達に、「あの時、お母様の店でもう1件行こう、と私たちを誘ってくれた『頭取さん』がまたお店にいらしたら、どうかよろしくお伝えください・・・」と手紙を書くことだけだった。

四国、という土地柄もあるかもしれないが、行過ぎるだけの旅人に、なんの下心もなく親切にしてくれる、という気持ちは、こんな時代にはとても心に響く。
忘れがたい旅の思い出になった。




b0012145_15161419.jpg
今日のけんいちうじコーナー
呼ばれたから振り返っただけ。


別に、親に興味があるわけではない。ベッドの上で自由奔放東奔西走なのであって、さっきブレンバスターをかけてやった。大人はつおいのだ、むははは。
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by akisa1106 | 2004-09-24 01:42 | ワタクシ的なこと
物を書くということ。 2004年 08月 21日
いつの頃からか、文章や詩を書くのが好き。

高校生の頃からバンドをやっていて、オリジナル曲の詩を書くのが、一番好きな作業だった。
日本語が好き、というのもあるが、たぶん露出癖があるんだと思う。

歌でも踊りでも演技でも、とにかく表現するのが好きな性格らしい。目立ちたがりやとも言う。

かと言って、小説を書くほどの独創性やストーリを組み立てる緻密さは持ち合わせておらず、エッセイ程度にとどまっている。

思春期の頃は、歌の歌詞になりそうな言葉が、泉のように湧き出ていた。
その頃、書き留めていた(書きなぐっていた)メモは、その後成人した後でも、歌詞を書くときに大いに役に立った。
それなりに恋愛したりして、そのときの気持ちを思い出して書き残していけば、なんとなくエッセイになった。

今ではそういう心がなくなってしまっているなぁ・・・。

そんなわけで、昔書いたものをべつのサイトにしてみました。
右のメニューからいけます。おひまな方はどうぞ。

日々の生活に追われて、ものを見る目が変わってきてしまっているなぁと思う今日この頃。
詩なんてぜんぜん、うかんできません。
いかんなぁ。
また、新しいのが書けそうだったら、そのページに増やしていきたいです。いけますように。
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by akisa1106 | 2004-08-21 03:45 | ワタクシ的なこと
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2003年8月生

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